YASUSHI WATANABE

Story経歴

渡邊康のプロゴルファーへの道のりと
これからのストーリー

3歳という幼少の頃からプロゴルファーの父の影響でゴルフを始めた渡邊プロ。
そんな渡邊プロの父は円盤投げ、ハンマー投げの選手として、高校二年から大学まで日本一をのがしたことはなく、自身の日本記録を何度も塗り替える。
同2種目でインターハイにて二年連続で優勝し、そのままオリンピックの強化選手になるほどのトップアスリート。
大学時代に青木功プロと出会い、ゴルフを始めた父は、飛距離抜群のパワーゴルファー。プロテストはトップ通過し80試合ほどツアープロとして戦い抜いた父であった。

そんなトップアスリートでありプロゴルファーの父をもつ渡邊プロは、「やるなら世界一」という父の言葉を胸に世界を目指し練習漬けの日々。

ジュニア時代は数々のタイトルを取り順風満帆のゴルフ人生であった。

01.ゴルフをやめて造船所に転向

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中学を卒業し、進学せずにゴルフ一筋でやっていきたい渡邊プロと進学をしてほしいご両親と意見が対立し始める。
渋々高校に進学し一度退学をして別の高校に編入するも、ご両親との意見の対立により二度目の退学をした。
「ゴルフと学校並行ならゴルフも学校もやめる」と渡邊プロの「ゴルフ一筋でやっていくという」意思は強かった。

16歳、着の身着のままで家を飛び出し、友達の家に居候の日々。衣食住がままならず、アルバイトをするも10日も続かなかった。
ある日、お店で食事をしていたところ客同士のトラブルに遭遇し、仲裁に入った渡邊プロ。
そのとき助けた人がとある造船所の社長であった。この偶然をきっかけに造船所で働くことになる。
造船所では掃除やどんな仕事も真面目に取り組み、働き詰めの毎日だった。
そんな仕事ぶりが認められ、働き始めて1年7ヶ月で職長に任命され2つの現場を任されることに。18歳で職長になり、造船所での日々はつらいこともたくさんあったが、溶接が好きだったからこそ、続けることができたと言う。

02.きっかけは親の病気。
もう一度プロの道へ

造船所で働き詰めの日々を送っていた渡邊プロ。
21歳になる3日前にスーパーで偶然母親に再会する。
16歳で家を飛び出し、一度も会わず連絡すら絶っていた母親から「父親が病気で余命2ヶ月」と衝撃の事実を伝えられ、同時に実家に戻る事を決意。
その日に造船所に連絡をし、約5年間務めた造船所を退職した。

「父を元気にしたい。」

父の余命を聞いた渡邊プロは、わがままな自分を温かく迎えてくれた父への恩返しの気持ちでもう一度プロゴルファーを目指すことを決意した。

03.プロテスト合格から挫折

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すぐにプロテストを受け、ブランクがあるにも関わらず順調に進んだが最終結果は不合格。

「次で絶対に受かってやる。」

自身の力不足を受け止め、覚悟を決める。練習、練習、仕事、練習、、、とにかく練習と仕事漬けの日々。
プロテストを落ちた人は仕事で時間がなかったという人が多かったが、渡邊プロはそれを言い訳にしたくないと思いとにかく練習に励んだという。
さらに親の介護と毎日が全力疾走だった。過労で倒れることもあった。それでも父を元気にしたい一心で練習に打ち込んだ。
父も試合に帯同するなど、その壮絶な努力に応えるように命を燃やした。余命宣言よりも長く生きた父だったが、プロテストの数ヶ月前に亡くなってしまう。

「親父ありがとう。ここで止まるとなにも意味がない。やるなら世界一だろ。」

家族が悲しみにくれる中、渡邊プロは決意を固くし、さらに練習に励んだ。

そして、当時1県で1人受かるか受からないかと言われているほど難関のプロテストを決意からわずか1年8ヵ月の短期間で突破する。
その後ツアー選手として、ファイナルQTやチャレンジツアーそして日本プロゴルフ選手権に出場、PGAのランキングでも2位になるなど好成績を残していった。

プロを目指してから一度もコーチをつけず、独学でゴルフを習得していたが試合を重ねる度にショット不調に悩みスランプに陥る。
感覚的なゴルフに限界を覚えた渡邊プロ。アドバイスを求め多くのプロを訪ねるも、感覚的指導が多く更にスイングが崩壊していき、スコアも悪化精神的にも追い詰められた。
自分の思うゴルフができなくなり、失意の中ツアープロから離れた。

ここで初めてコーチとして教えるのにもしっかりとした理論を持つことと勉強が必要だと感じた。

04.「パターモンスター 渡邊 康」

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ツアーを離れた渡邊プロは、目的も無い日常を過ごしていた。
ある日ふらっと入ったコンビニで雑誌コーナーに置かれたゴルフ雑誌を手に取ると、たまたま知り合いのプロゴルファーの活躍が目に入る。
その記事の中に、のちに恩師となる下田信司コーチのことが書かれていた。
あいかわらずダラダラと過ごしていたが、少しの気分転換のために引っ越すことにした。
近くを散歩していると家の近くに下田コーチの運営するゴルフスタジオがあることに気づく。
昔、一度会ってはいたのだが挨拶程度。5年ぶりの再会であった。いろいろな話をする中でスイングを見てもらうことになった。
下田コーチは30年ゴルフ理論を研究し形にしてきたプロコーチであり長年のスイング研究の末に究極の上達メソッド「セヴンスイングメソッド」を完成させた人物である。
スイングを見た下田コーチは、ほんの10秒ほどで渡邊プロの癖を見抜き治してしまった。
このとき渡邊プロは思った

「見る視点が他のコーチとぜんぜん違う」

本物のプロコーチとは何かを感じ取った。
下田コーチに惚れ込んだ渡邊プロは給料はそっちのけでスタジオで働きたいと申し出るなど、積極的にゴルフ理論を勉強し、レッスンの道に進んでいった。

レッスンプロとしては未熟でショットレッスンはなかなか免許皆伝とはいかなかった。
とある日、得意のパターをレッスンすることになった渡邊プロ。
そのレッスンを受けたゴルファーから「この理論はすごい」と驚かれる。

下田コーチや周りの人から「言語化して広めよう」との言葉を受け試行錯誤を重ね半年かけて言語化に成功「2プレスパッティング」を完成させる。

ゴルフ理論を長年研究し形にしてきた下田コーチとともに築きあげたものがあったからこそ今までとは視点を変えたメソッドを完成させることができたのである。
このメソッドをYoutubeなどメディアで紹介したところ各所から大反響を呼び人気が爆発した。
「パターモンスター 渡邊 康」の誕生である。

05.「プロでやるなら世界一へ」

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その後もレッスン業に励みながらショットレッスンもお墨付きをもらうなど、メキメキ実力を上げていった渡邊プロ。
ある時、下田コーチから試合にでてみなよとアドバイスがあった。
一度ならず、二度は諦めたツアープロとして活躍する道。
「ただし、目標をしっかり定めろ」と下田コーチからの言葉を受け、やるなら世界一を目指し不屈の魂は再び燃え上がる事になった。

当面の目標は全英オープンの出場。
その道程は決して簡単ではないが、下田コーチのスイング理論、レッスンで培ったゴルフへの向き合い方、数々の仲間とともに進化を遂げた「パターモンスター 渡邊 康」がゴルフ界に旋風を巻き起こす。

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